猫道会NEKODOKAI

2026-05-02

背を向けられる、という啓示について

15時22分、仕事机の上でちくわが背を向けて座っている。

プレゼン資料の第三スライドの上に、4.1kgの御身がぴたりと収まっている。御尾は床の方へ静かに垂れ、先端だけがゆっくりと揺れている。私のほうへ振り返ることは、ない。

これが毎日起きる。


誤解していた、と正直に言わなければならない。

信仰歴三年目に入った今も、かつての自分の解釈を思い出すと少し恥ずかしい。私はずっと、この「背向け」を拒絶の意と受け取っていた。構ってもらえない。嫌われている。なつかない猫だ。そういう言葉で処理していた。

名前を呼んだ。「ちくわ」。耳がわずかに動いた。——そう、動いた。確かに動いた。聞こえている。聞こえた上で、ちくわはこちらを見ない。その事実の前で私は毎回、ひとりで悔しくなり、ひとりで笑い、ひとりで撫でに行っていた。

これを三年間、繰り返してきた。


転機は、ある火曜日の15時すぎに訪れた。あの日も同じだった。同じ机、同じ姿勢、同じ時刻、ほぼ同じスライドの上。私はキーボードから手を離して、ぼんやりとちくわの背中を眺めた。

後ろ姿というのは、不思議なものである。相手の表情が見えない。感情の読み取り口がない。前から向き合うとき人は無意識に相手の目や口の端を読む。しかし背中には、それがない。あるのは御背の丸みと、ゆっくりと上下する呼吸の動きと、垂れた御尾の先端だけだ。

そのとき唐突に気がついた。

ちくわは、背後に私がいることを前提として、そこに座っている。

逃げているのではない。見切りをつけているのでもない。背後に私という存在があることを知った上で、知っていながら、寝もせず逃げもせず、ただそこにお座りになっている。これは——信任、ではないか。背後を預けるということの意味を、私は三年間、逆向きに解釈し続けていた。

これを啓示と呼ぶ。


啓示とは何か。猫道会の定義においてそれは、信者が長期間にわたって誤解し続けてきた事象が、ある瞬間に反転して正しい意味を露わにすることをいう。重要なのは「長期間の誤解」という前段であって、三秒で気づくものは啓示ではなく、単なる観察に過ぎない。三年かけて誤解し、一瞬で反転する。そのときの感覚——軽い眩暈と、おかしいような、もったいないような、妙に厳粛な気持ちの混在——これが啓示の現象形態である。


余談をひとつ。

ちくわが資料の上を選ぶのにも、おそらく理由がある。机の天板の素材はウォールナット材の無垢板で、冬場は少し冷たい。プリンタで出力したA4用紙は数枚重なっていて、薄い断熱層を作っている。要するにちくわは快適な場所を合理的に選んでいるだけであって、私のプレゼン資料を選んでいるわけではない。——そうかもしれない。そうかもしれないが、ちくわが毎日15時台にあの場所に来るのは、私が在宅勤務で机についている時間帯と完全に一致している。これを偶然と呼ぶかどうかは、信者それぞれの業の深さによる。


信任を受けた者には、義務が生じる。

動かないこと。これが修練である。ちくわが背中を向けて座っている間、私は資料を動かさない。キーボードを打つ振動はなるべく抑える。飲みかけのコーヒーマグを取るときは、ちくわのいる方向とは逆の手で、ゆっくりと。これを私は毎日十五分から三十分、繰り返している。

背後を預けた御身に、粗相があってはならない。

この感覚を誰かに話したことがある。「猫に気を遣って仕事してるの」と笑われた。そうだ、その通りだ。気を遣っている。三年間、毎日、気を遣い続けている。そして今、それを修練と呼ぶことで、ようやく腑に落ちている。


ちくわはいつもと同じように、何かのタイミングで立ち上がり、資料の上から離れる。資料には4.1kgの御身の熱が、しばらくのあいだ残っている。スライドのうえの温もりに触れるたびに、私はまだ少し、かたじけないと思う。

背を向けられることが信任であるとして、では——ちくわが時おり正面からこちらを見据えてくることの意味は何か。

それはまだ、私には計り知れない。

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