2026-04-24
ムギ豊穣——食卓の神、十二年の御一代記
第 2 章 / 全 6 章
第二章 台所が、神域になる
ムギが、1歳になる頃、我が家の台所は、神域に、なった。
最初は、ささやかな変化だった。朝6時30分、目覚ましが鳴る前に、私は、頬に、肉球の、軽い圧を、感じる。半分、寝ぼけた目を、開けると、枕の横に、麦色の、小さな顔が、ある。鼻先が、私の頬に、触れている。視線は、私を、通り越して、台所の方を、向いていらっしゃる。
「ムギ、まだ、ご飯の時間じゃないよ」、と、私が、寝起きの声で言うと、ムギは、私の顔の上を、一度、通過し、ベッドから、降りられ、廊下の方へ、歩かれる。途中で、振り返る。私が、ついてこないと、もう一度、戻ってきて、布団を、前足で、軽く、叩かれる。
これが、毎朝、6時30分の、儀式だった。
私は、結局、6時35分には、ベッドから出て、台所に、立っていた。ムギは、既に、皿の前で、座っていらっしゃる。座り方が、独特である。前脚を、揃えて、まっすぐ伸ばし、背筋を、ぴんと、立てて、顎を、わずかに、上げる。皿が、足元にあるのに、顔は、皿を、見ていない。視線は、私の、手元に、向けられている。
私が、カリカリの袋を、開ける。袋の口の、シャラ、という音。ムギの、しっぽの先が、ぴょこ、と、跳ねる。私が、計量カップで、規定量を、すくう。スプーンを、皿に、傾ける。カリカリが、皿に、流れ落ちる。カリ、カリ、カリ、と、陶器の底に、当たる音。
ムギは、その音が、止む前に、皿に、口を、突っ込まれる。
私の手が、まだ、皿の上にあるうちに、頭を、皿に、入れてこられる。私は、慌てて、手を、引く。手の甲に、ムギの、髭が、触れる。一瞬の、温かさ。
ムギは、口に、カリカリを、頬張りながら、私を、見上げられる。「ありがとう」とも、「遅いぞ」とも、取れる、独特の、目である。私は、その目に、毎朝、礼拝している、と、後年、気づいた。
7時00分、私の朝食。私は、トーストを、焼き、コーヒーを、淹れる。ムギは、自分の朝食を、3分で食べ終わり、私の足元で、香箱座りに、入る。私が、トーストを齧る、サクッ、という音に、ムギは、反応されない。コーヒーの香りにも、無関心である。
しかし、私が、冷蔵庫を、開けた瞬間、ムギは、即座に、立ち上がられる。
冷蔵庫の音は、ムギにとって、第二の、鐘の音である。バターを取り出すだけの動作にも、ムギは、駆けつけられる。期待の眼差しで、私の、手元を、追跡される。私が、バターだけ取り出して、冷蔵庫を、閉めると、ムギは、しばらく、扉の前で、座っていらっしゃる。何かが、出てくるはずだ、という、確信を、保ったまま。
私が、その扉の前を通るたびに、ムギは、私の足元に、現れる。冷蔵庫を、開けない、と、わかると、ムギは、私の脛に、頭を、こすりつけられる。これは、抗議の所作である、と、私は、解釈した。
夜、19時00分、夕食の支度。これも、ムギの、儀式の時間である。
私が、まな板の前に立つ。包丁を、手に取る。ムギは、必ず、私の左足の、後ろに、立たれる。視線は、まな板の、高さに、合わせられている。私が、肉を、切る。ムギは、香りを、嗅がれる。私が、野菜を、切る。ムギは、興味を、失われる。私が、また、肉を、扱う。ムギは、戻って、こられる。
ムギは、肉と、それ以外を、明確に、識別される。
魚も、同じである。鮭の、皮を、剥がす音、サンマの、内臓を、取り出す音、これらに、ムギは、確実に、反応される。袋から、取り出した刺身の、パックの、ピリッ、という音は、ムギを、寝室から、台所まで、走らせる、最強の、鐘である。
私の、台所は、ムギが、来てから、毎日、二度、神域になる。朝の、皿の儀と、夜の、まな板の儀。私は、その両方を、信者として、執り行った。
ムギは、台所の神である、と、私が、初めて、声に出して、言ったのは、ムギが、3歳の、ある夜だった。
その夜、私は、友人を、家に、招いていた。台所で、料理を、していた。ムギは、いつものように、私の左足の後ろに、立っていらっしゃった。友人が、リビングから、声をかけた。「猫、ずっと、見てくるね」。
私は、笑って、答えた。「ムギは、台所の神だから。料理する人を、監督してるの」。
友人は、笑った。私も、笑った。ムギは、笑わなかった。ただ、フライパンの、油が、跳ねる音に、しっぽの先を、ぴょこ、と、立てられた。
それは、神性の、確認の、所作だった。