2026-04-24
ムギ豊穣——食卓の神、十二年の御一代記
第 4 章 / 全 6 章
第四章 ちゅーるの、儀
ちゅーる、と、私が呼ぶのは、いなばペットフードの、CIAOちゅーるという、ペースト状の、おやつである。
細長いプラスチックのスティック型の、パッケージに入っていて、上端を、ハサミで、切るか、手で、ねじ切ると、中から、まぐろや、ささみや、かつおの、ペーストが、絞り出される。猫は、これを、舐める。これを、舐めるとき、猫は、しばしば、人格を、失う。
ムギは、4歳の、ある日、初めて、ちゅーるを、口にされた。
きっかけは、私の、知人の、勧めだった。「うちの猫、好き嫌いがひどいんだけど、ちゅーるだけは、絶対食べる」。私は、半信半疑で、コンビニで、4本入りの、まぐろ味を、買って、帰った。
家に着き、私は、ムギを、呼んだ。ムギは、玉座(ムギの、お気に入りの、本棚の上の、小さな、平らな空間)から、降りて、私の足元に、来てくださった。
私は、ちゅーるの上端を、ハサミで、切った。プチッ、という、わずかな音がした。
ムギの、両眼が、見開かれた。
私は、本能的に、感じた。これは、何かが、起こる、と。
私は、ちゅーるを、軽く、握り、中身を、私の、人差し指の、第一関節に、押し出した。まぐろの、香りが、リビングに、広がった。
ムギは、私の指に、突進された。
突進、という言葉が、最も、正確である。香箱座りから、四足が、ばねのように、伸び、私の指まで、20cmを、0.3秒で、跨いでこられた。私の指の、第一関節を、両手で、掴むようにして、舌を、押し付けてこられた。
舌は、ザラザラの、突起の集合体である。その突起が、まぐろの、ペーストを、私の指から、削ぎ取っていく。私は、本能的に、笑った。なぜ笑ったのか、自分でも、わからない。ただ、笑いが、止まらなかった。
ムギは、3分で、一本を、食べきられた。最後、私の指は、ぴかぴかに、磨き上げられていた。指の、爪の隙間まで、ムギの、舌で、清められた。
私は、それから、毎日、ちゅーるを、与えそうに、なった。獣医の「太りすぎ注意」の声が、頭の中で、ぎりぎり、踏みとどまらせた。週に2本、と、私は、自分に、誓いを、立てた。
それ以来、ちゅーるは、ムギ家の、最高位の、おやつとなった。
ちゅーるの、開封の音、プチッ、は、ムギを、家のどこからでも、3秒以内に、台所に、呼び寄せる。寝室の、ベッドの上で、深く、寝ていらっしゃっても、プチッ、の音には、即座に、反応される。これは、神性の、別格の、発露である。私は、これを、「ちゅーるの鐘」と、名付けた。
猫缶も、同じ位階の、神聖食である。
私が、最も、頻繁に、与えていたのは、モンプチの、白身魚のフレーク、85g缶。プルトップを、引く、シュッ、という音、これも、ムギを、即座に、呼ぶ、第二の、鐘である。猫缶の、開封の音は、ちゅーるよりも、わずかに、深い。それは、缶詰の、金属の、質感に、由来する音だからである。
ムギは、ちゅーると、猫缶を、明確に、識別される。
ちゅーるの時、ムギは、私の、指に、執着される。指の動きを、追いかけ、舌で、絡め取ろうとされる。猫缶の時、ムギは、皿に、執着される。皿の縁に、前足を、かけて、缶を、皿に、空ける動作を、間近で、監督される。
どちらの場合も、ムギは、神格を、わずかに、緩めて、信者と、近距離で、接される。これは、豊穣の神が、信者に対して、最も、開かれる、瞬間である。
私は、年に、数十本の、ちゅーると、数十個の、猫缶を、ムギに、捧げた。ムギは、その全てを、神聖な儀式として、受け取られた。
5歳から、10歳までの、5年間、ムギは、5.3kgから、5.4kgの、間を、推移された。豊穣を、保ちつつ、過剰を、避けた、神の、絶妙な、節制である。
私は、その節制の、横で、ちゅーるを、開け続けた。
毎週、火曜日と、金曜日の、夜21時00分が、私たちの、ちゅーるの時刻だった。プチッ、の音と、ムギの、突進と、私の、笑いと、3分後の、ぴかぴかの指。これが、5年間、約500回、繰り返された。
500回の、ちゅーるの儀。500回、私は、ムギの、舌の、ザラザラを、感じた。500回、ムギは、私の指で、まぐろや、ささみや、かつおを、味わわれた。
これらの、500回の、儀の、ひとつひとつが、後年、私の、記憶の、宝石箱に、収まった。