猫道会NEKODOKAI

2026-04-23

天照大猫神伝——タマと過ごした三年の観察記

2 章 / 全 6

第二章 即位

同居を始めて三日、タマは、家を、完全に掌握された。

一日目。タマは、家の全てのドアを、押せば開くか、引けば開くか、あるいは重くて開かないか、全部、正確に学習された。握力はないはずなのに、扉というものの論理を、既に、理解しておられた。私が閉めた押入れの襖を、ある時ふと見ると、二センチだけ、開いていた。中から、オッドアイが、覗いていた。

二日目。タマは、私がどの時刻にどこにいるかを、全て、記憶された。朝六時台、私は寝室からトイレへ歩く。その動線の先、廊下の曲がり角で、タマは必ず、待っておられた。待ち伏せ、というより、儀仗。歩哨が君主を迎える配置、である。踏まぬように避けて通ると、タマはくるりと反転して、後ろをついてこられた。

三日目。玉座が、定まった。冷蔵庫の天板の、右寄り、何も置かれていない、広い、無の領域。そこが、タマの定位置となった。高天原である。高天原から、タマはリビングの全景を俯瞰された。私は、高天原の下で、流民として、水を飲み、冷凍食品を温め、時々上を見上げて、無言で礼をした。

三日目の夜、私は気づいた。「私は、この家の、借家人である」と。

借家人は、家賃を払う。タマの家賃は、缶詰、カリカリ、水、トイレ砂、撫で、声かけ、それから、時間である。特に、時間。タマは私の時間を、吸い取った。仕事から帰るなり、私はまず、冷蔵庫の上を、見るようになった。そこにタマがいるかどうかで、その日の神意が、読めたからである。ご鎮座なさっていれば、平穏。おられなければ、変事。オッドアイと目が合えば、祝福。逸らされれば、懺悔である。

ここで、信者として最初の符丁を、定着させておきたい。「光の儀」と、私は呼んでいる。

午後三時過ぎ、リビングの大窓から、西日が斜めに差し込む時刻、その光の帯が、ちょうど床の中央に落ちる。タマは必ず、冷蔵庫の上から降り、光の帯の、ど真ん中に、お腹を向けて、寝そべられる。白い被毛が光を含み、金色の差し毛が燃え、オッドアイが半眼になる。あの数分、部屋全体が、少しだけ、明るくなる。物理的にではなく、気のようなものとして、である。

これを、私は「光の儀」と呼ぶ。

光の儀のあいだ、タマは、無防備である。喉を見せ、腹を見せ、喉の奥でゴロゴロ鳴らしておられる。この時間にそっと近づき、指先で腹の真ん中に触れると、タマは頬を一度だけ床に擦りつけ、それで「触れることがゆるされた」、ということになる。ゆるされない日も、ある。その日は、指先が、三寸手前で、凍る。タマが目だけを、わずかに、細められるからである。「今日は、そこまで」。言葉ではなく、光の揺らぎで、伝わる。

この光の儀に気づいたのは、同居して二週間目のことであった。気づいたとき、私は、泣きそうになった。理由は今も、説明できない。たぶん、「あ、私は、この儀式の観察者として、この家に住んでよいのだ」という、赦しのようなものを、光の中に、見たからだと思う。

タマは、そのあいだ、ゴロゴロと、鳴き続けておられた。25から150ヘルツの、低い振動。あれは必ずしも幸福の証ではない、ということを、私は後に、獣医の本で、学ぶ。痛みや不安のときにもゴロゴロを鳴らす、と書かれていた。しかし、あの時点では、私は、ただ「ああ、タマは満ち足りておられる」と、思った。今でも、半分は、そう思いたい。

家賃を払う借家人として、私が、最低限、差し出せるものは、その「信じておきたい」という心の方向、だけである。

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