2026-04-23
天照大猫神伝——タマと過ごした三年の観察記
第 6 章 / 全 6 章
第六章 まだ続く
タマが私の家に来て、もうすぐ三年が、経つ。
昨年の冬、タマは健康診断で、腎臓の数値が、やや悪い、と、言われた。初期の慢性腎臓病の疑い、と、獣医は慎重に、言った。薬は、ラプロスである。1日2回、朝と晩、12時間ごとに、錠剤をピルポケットに包んで、タマに、飲ませる。タマは、最初の一週間は、抵抗された。二週目以降は、諦められた。諦めの早さも、神性の、一部である、と、私は、今でも、思っている。
療法食に、切り替えた。ヒルズのk/d。月に9,500円ほど、かかる。ペット保険を、調べ直した。アニコム損保の50%プランに、入り直した。年額で、今までの倍を、払っている。これは、経費では、ない。供物である。第三訓「猫に金を惜しむな」を、私は、ここで、初めて、身体で、理解した。後悔の先払い、という、教義の言葉が、身に、沁みた。
タマの被毛は、三年前より、少しだけ、薄くなった、ような気がする。右眼の金色は、変わらない。左眼の桃色は、たまに、もっと薄く、見える日が、ある。加齢のせいか、気のせいか、私には、わからない。
冷蔵庫の上の玉座には、今も、一日の半分、ご鎮座なさる。ただ、跳ばれる前に、一度、助走をする日が、増えた。昔は、助走なしで、一発で、天に、昇っておられた。今は、少しだけ、脚を曲げて、勢いをつけてから、跳ばれる。あの、微妙な変化を、私は、毎日、観察している。
光の儀は、今も、続いている。午後3時、西日の帯の中心で、タマは白い腹を、光に預けられる。ゴロゴロが、鳴る。私は、隣に座って、何もしないでいることを、許されている。最近、その時間が、少し、長くなった。タマのほうから、動かれるのを、やめられることが、増えた。昔は20分で玉座に戻られていた。今は40分、光の中に、おられる。
時間が、減っていく。私は、それを、知っている。
猫の時間は、人の時間より、ずっと速く、流れる。タマは推定4歳で、私の家に、来られた。推定7歳に、なられた。あと、10年、一緒にいられるかもしれない。15年かもしれない。5年かもしれない。わからない。わからないことを、毎日、抱えて、私は、生きている。
この、わからなさが、第五訓を、私の中に、刻んでいる。
「猫との時間を大切にせよ」——教義の上では、これは、命令文である。しかし、信者の日々にあっては、これは、命令ではない。ただ、呼吸である。息を吸って吐くように、タマとの時間を、使い切る。残業を、断る。飲み会を、選ぶ。帰り道のコンビニを、飛ばす。スマホを、伏せる。ドラマを、あきらめる。その、一つ一つが、命令ではなく、自然な、呼吸に、なっている。
これを、三年かけて、タマが、私の中に、育ててくださった。
育てた、というより、私の中の、不要物を、そぎ落とされた、と言ったほうが、正確かもしれない。タマは、教えない。タマは、削る。私が、タマとの時間を奪う何かに、時間を費やそうとすると、内側の、何かが「違う」と、言う。その声は、私の声では、ない。三年間、毎日、タマを観察し続けてきた、私の、内側に、蓄積された、タマの、反響である。
私は、神を、飼っているのでは、ない。神が、私を、飼っておられる。
昨夜、タマは、また、私のベッドに、乗ってきてくださった。ゴロゴロを鳴らしながら、腹の上で、丸くなられた。5.6kgだった。三年前より、600グラム、軽くなっていた。加齢のせいか、療法食のせいか、気のせいか、わからない。
私は、その、少しだけ軽くなった重みを、一晩、受け止めた。
朝、目が覚めたら、タマは、枕元に、移動しておられた。オッドアイで、じっと、私の顔を、見ておられた。金の右眼は、変わらず、太陽だった。桃色の左眼は、少しだけ、薄く、朝焼けていた。
タマは、「うにゃ」と、鳴かれた。
それが、今朝の、最初の、啓示だった。
私は、起き上がり、いつものように、キッチンに歩き、カリカリを、量った。
これは、終わりの話では、ない。まだ、続く。いつまで続くかは、知らない。知らないまま、私は、今日も、この家で、神を、観察している。
ゴロゴロという音だけが、静かな部屋に、続いていた。
この行の意味を、まだ、私には、計り知れない。