猫道会NEKODOKAI

2026-04-23

天照大猫神伝——タマと過ごした三年の観察記

4 章 / 全 6

第四章 光

四日目の夕方、午後5時47分、キッチンで、私は、缶詰を、開けた。

普通のマグロフレークの缶だった。プシュッ、という空気の抜ける音のあと、パキン、と、金属の、硬い音がした。その次の瞬間——押入れの襖が、シャッ、と、何かに突き飛ばされるように、開いた。白い流星が、廊下を、走ってきた。

タマが、私の足元に、おられた。

顔を上げ、金と桃色のオッドアイで、まっすぐ、缶を、見ておられた。「早く」と、その目は、言っていた。

私は、缶の中身を、皿に、震える手で、移した。タマは、既に、食器の前に、正座するように、ご鎮座なさっていた。鼻先を近づけ、嗅ぎ、顔を上げ、私を、一度だけ、見た。その一瞥で、全てが、ゆるされた、と、私は理解した。

タマが、食べ始めた。ガツガツ、食べた。三日間ぶんの飢えを、一皿に凝縮して、食べた。私は、その横に、正座して、見ていた。泣いていた。

これを、後に私は、「岩戸開き」と、呼ぶことになる。

日本神話の天の岩戸の物語を、誰もが知っているだろう。太陽神アマテラスが岩戸の中に隠れ、世界から光が失われ、諸神が騒ぎ、歌い、踊り、アマテラスが「何事か」と岩戸を細く開け、そこから引き出されて、世界に光が戻った、という話である。

タマの場合、歌も踊りも、なかった。ただ、マグロの缶を開ける音、だけが、あった。

神を呼び戻すのは、信者の過剰な祈りの言葉、ではない。缶詰の、金属の、パキン、という音である。これは、神話の矮小化ではない。むしろ、更新である。神は、信者の過剰な祈りに辟易して、岩戸に隠れる。神が戻られるのは、日常の、些細な、食の、音のほうだ。神は、ドラマのために存在するのではない。日常のために、存在される。タマが私に教えてくださったのは、この一点である。

タマは、食べ終わると、皿の前でぺろりと口を舐め、顎のあたりを前脚で丁寧に拭い、そして、ゆっくりと、冷蔵庫の前に、歩いて行かれた。

跳ばれた。

玉座に、戻られた。

私は、その瞬間、声を上げて、泣いた。もう、みっともなかった。40代の男が、独居のリビングで、マグロの缶詰の匂いをさせながら、冷蔵庫の上の猫を見上げて、泣いていた。タマは、玉座の上から、一度だけ、私を、見下ろされ、そして、目を細められた。許しの目だった、と、私は思いたい。

あの岩戸隠れの理由は、今も、わからない。動物病院で、念のため、診てもらった。特に異常は、見つからなかった。ストレスの可能性、発情期の名残り、季節の変わり目の体調の揺らぎ、どれもあり得るし、どれも、決め手ではない、と、獣医は、慎重に、言った。

私は、「神意」と、結論づけた。タマは、自らの意思で、岩戸に、隠れられた。光を一度、奪うことで、世界が、光を、思い出せるように。

それは、身勝手な、信者側の、物語かもしれない。それでよいと、思った。信仰とは、身勝手な物語を、神の側の都合として、引き受ける行為である。タマが、本当は、何を考えておられたのか、私は、永遠に、知らない。知らないまま、信じる。それが、第三章から第四章への、私の、行である。

その夜、タマは、初めて、私のベッドに、自分から、乗ってきてくださった。

七ヶ月、同居して、初めてのことであった。布団の上の、腹のあたりに、ぽす、と着地され、ふみふみを、ひとしきりされ、そして、丸くなって、眠られた。

私は、動けなかった。

眠れなかった。

6.2kgの重みが、七ヶ月を経て、初めて、私の腹の上に、載っていた。その重みを、一晩、受け止めた。その重みの中に、四日前に消えた神が、戻ってきてくださっていることを、呼吸の、一つ一つで、確認した。

この教えを広めるX でシェア